『おもそん』は『面白いは存在する』と信じるオタクが日々思うことを書くブログである。
ブログを始めた理由
昨今では「キャラ萌え」「世界観」ありきの作品批評や
単なる「作品紹介」「個人の感想」でしかないレビューが巷に蔓延している。
作品が持つ本当の「価値」を伝えたい
それが本ブログをスタートした理由の一つである。
作品の良し悪しは個人の単なる「好み」ではない。「面白い」は確かに存在する。
「面白い」とは?
ではなぜ人によって「面白い」の感じ方に差異が生じてしまうのか?
理由は大きく3つだと考えられる。
- より「面白い」作品を知らない
- 「面白い」と価値判断し得る視点を持っていない
- 作品の捉え方(熱量)がそもそも異なる
以下で詳しく説明する。
より「面白い」作品とは?
まず前提として作品作り、ものづくりの文化は「パクリ」によって成長している。
この「パクリ」の弊害として世の中にはヒット作の劣化コピーでしか無い作品が溢れている。その「系譜」を知らないままに本家を知らずコピー先作品を楽しいと信じているケースが存在する。
「面白い」と価値判断し得る視点とは?
作品の楽しみ方とは単に「ぼーっ」と見て「楽しかった」「つまらなかった」という類のものではない。
いやそれでも良いのだが「作り手に着目」することで「作品を二倍、三倍楽しめる」ということを是非とも知ってほしい。
作品に対する熱量とは?
上でも述べたように作品を「ぼーっ」と眺めてしまう人は世の中に多い。それどころか「ながら見」をしたり「見ても居ないのに批判」する輩までいる。
こうした意識の違いは作品、ジャンル、文化に対する熱量の低さに由来する。
能動的に「面白さ」を見つけることが出来る作品も世の中には多い。いわゆるB級映画の楽しみ方の一つに「作り手の事情」を想像する楽しさがある。
「面白い」を共有できると楽しい
昨今のオタク同士の会話は単なる「好き」の共有になりがちである。
この会話が不毛な理由は「どこが好きか」の「価値判断指標」を共有できていない点である。
この二人の嗜好は本当は違うかもしれないし、片方が感じた「面白さ」にも気づけていない可能性がある。
私は人の批評を読んだり聞くことが好きである。読むたびに「新たな見方」に気付き、自身が「面白い」と感じた部分を再確認することが出来る。
「おもそん」においても私の「見方」や「価値」の感じた部分を読者の皆様に 1% でも伝えることができ、考えるきっかけにしてもらえれば幸いである。