作品について会話する中で「熱量の違い」を感じるシーンが多々ある。
「ゲーム好き」の方と会話した時にも『ベヨネッタ』が好きと言っていたので「神谷作品では他に何が好きか」を聞いたところ、そもそも「神谷英樹」を知らなかった。
これは一例ではあるが「作品好き」の中には「作り手」や「シリーズ」「影響を与えた作品」について把握していない熱量の人が多数存在する。
個人の「好き」で終わってしまう
このケースにありがちなのは作品に対して個人的に「好き」で終わってしまっているケースである。「好きな作品」に出会えてそれを「楽しめた」時点で満足してしまうのである。
片や中には「好き」が高じて作品を分析し二次創作を始める人もいる。この違いはどこから来るのだろう。
違いは「作り手」を目指したことがあるか
作品に対し能動的に分析し考察することができるのは「作り手」を目指したことがある人が多い。クリエイターを目指す上で先人の産物を参考とし分析するので当然の理屈である。
幼少期の感動体験も重要
同時に大事となってくるのは「幼少期」の感動体験である。後の人格形成時のベースとなるこの時期に「作品」を通じた感動体験をしていると「面白い」と信じる基準を自分の中に持つようになる。
作品と「対話」することは楽しい
「熱量」を持って作品と接することのメリットは作品と「対話」できることである。
例えば『シン・ゴジラ』を観た際にも一般客なら「演技下手だなあ」で終わってしまうシーンも「庵野は相変わらず人間に興味ないな!」と楽しめるようになる。
受動的な「作品鑑賞」よりも能動的な「作品対話」の方が楽しさは何倍にもなる。是非とも「作り手」を想像しながらの作品対話を試してみて欲しい。