「パクリ」によって文化は成長する

今年はエンブレム問題でも「パクリ」が社会問題となった。この件に関して筆者のスタンスを明確にさせて頂くと「パクリ自体に問題はない」 と考えている。

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創作活動とパクリ

そもそも作品作り、ものづくりの基本は「パクリ」である。有名な例を紹介するとガンダムの「ビームサーベル」はスター・ウォーズの「ライトセーバー」のパクリである。

では「パクリ」は「」なのか?無論そんなことはなくガンダムという世界にビームサーベルを登場させることのより、ガンダムが持つSFとしての魅力はグンと増している。「パクリ」によってガンダムの作品価値が高まったことは疑いようがない。

ならば次々に良い作品を真似すれば文化が成長するかというと、そうはいかない。

安易な「パクリ」は文化を衰退させる

「Aという作品が流行している。Aを真似てBという作品を作ろう!」

上記はいかにも日本のドラマ作り、映画作りで無能な経営陣がしていそうな会話である。しかし、そういった試みで作られる作品が成功することはまず無い。

厳密に言えば「そこそこ」ヒットすることはあるが往々にして「本家を超えない」のである(そこそこヒットした時点で目論見通りとも言えるが)。これは上記で述べた「文化の成長」には程遠く、明らかな「衰退」だと言えよう。

原因には以下の3点が考えられる。

  1. そもそもヒット要因の分析が不十分である
  2. 本家+α の何かが存在しない
  3. 本家も一過性の流行で中身が無かった

ではこれらの問題をどのようにすれば解決できるのか。

文化を進歩させる「パクリ」

では文化を前進させる「パクリ」とはなんだろうか?

ヒット要因を分析する

IF思考による分析

良い作品を作る上で、最も重要なことは「良い作品」を分析することである。当然これは分析する当人が作品を「良い」と感じてなくてはならない。分析する上では「IF思考」が重要となる。

「作品A では 女優α が可愛かった。女優α は 作品A の重要な構成要素である」

上記のように分析するためには

もし作品A に 女優α が出演していなかったら → 面白くない

と「IF」で考えられることが重要となる。

作品は要素の集合体

上記分析が有効な理由として「そもそも作品は要素の集合体である」ことが挙げられる。映画であれば脚本・コンテキャスト美術音楽などが真っ先に思いつくが、そもそも作品制作は個人制作を除き企画時点で複数人によるブレインストーミングが行われている訳であり、そこで建設的な議論と決定が行われているはず。

本家+α の価値を提供

生み出す作品が単なる「二番煎じ」とならないためには本家には無かった「+α」の要素が必要となる。「+α」を生み出すためにも前述の「IF分析」が活躍する。だけどあの作品は「ここが悪かった」という不満点を見つけ、それを改善することができればそれだけで「新しい価値」となりうる。

新しい価値が重要

上記までで「パクリ」の上手な使い方を述べてきたが、大事なことは「新しい価値」を提供することにある。真の意味で「0からオリジナルなものを作る」ことは特異な感性を生まれ持ったアーティストでないと無理。

世の中の作品の殆どはオリジナルが存在し、そこから表現手法やストーリー展開、キャラ設定などを継ぎ接ぎして作られている「コラージュ」のようなもの。そもそもの「私」を構成する人間がいる以上、真の意味で「私の世界」を表現できているアーティストなど居ないとも捉えられる。

大事なことは「安易なパクリ」ではなく「+α」の価値を提供すること。それが作品文化を進歩させる唯一の道筋だろう。

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