『UNDERTALE』考察:優しいRPGを作る為に必要だったこと

名作ゲーム『UNDERTALE』について考察をまとめる。

ネタバレ注意

テーマ

『UNDERTALE』という作品を紐解く上で本作のテーマを再確認してみよう。本作のテーマは「誰も死ななくていいやさしいRPG」である。Kickstarterでも特徴として「戦闘が不要」を掲げている。

Toby氏が『MOTHER』のファンであることからも同作のような温かく優しいRPGを目指したのだと思う。

『やさしいRPG』を実現するために

戦闘システム

単純に「死ななくていいRPG」と言ってもそれをゲームとして実現するのは非常に難しい。RPGではフィールドを歩けばモンスターとエンカウントするのが世の常である。しかし戦闘で「モンスターを倒さない」方法は一般的なRPGでは「逃げる」しか存在しない。しかし敵に会う度に逃げるだけのRPGなどゲームとして面白くない。

そこで用意された手法の一つが『真・女神転生』シリーズからインスパイアされた「みのがす」(MERCY)システムである。メガテンではモンスターとの会話で敵を仲間にしたり、お金やアイテムを貰うことが出来た。本作でも魔物とコミュニケーションを取ることで戦闘意思を削ぎ、見逃したり逃げることが出来る。

しかし、交渉だけでは戦闘が単なる作業となってしまう。それを避けるために用意されたのが弾幕STGを連想させる敵の攻撃システムである。これにより「みのがす」だけで終わらせず攻撃を「避ける」ことも楽しめる。勿論Toby氏の『東方Project』好きという趣味の部分も大きい。

物語

上記システムによって敵を倒さなくても楽しめるゲーム性は担保できた。しかし、用意できたのは飽くまで戦わずに済む「システム」のみである。プレイヤーにとってエンカウント時の選択は「倒す」か「みのがす」(逃げる)かの二択であり、戦闘後に得られるメリットを考えると倒した場合の方がExpが得られてメリットが大きい。何かしら「倒しくたくない理由」が必要となる。

そこで「やさしいRPG」を目指すために必要だったもう一つの要素が物語である。本作のストーリーは他のインディーゲームとは比較にならないほど突出している。ゲーム開始時にフラウィーに騙されて瀕死となり、プレイヤーにとっての母となるトリエルに救われる。そしてトリエルを倒すことを自ら選択し、地下からの脱出を目指さなくてはならない。

恐らくプレイヤーにとって初めて「倒したくない」と心から思う敵は「トリエル」である。しかし1周目の戦闘仕様・経験では「倒すしか無い」イベントに見えるように音楽・会話が演出されている。1周目のフラウィー戦も同様で最後までフラウィーを「みのがす」ことが出来た人は少ないと思う。『UNDERTALE』という作品はココロの温度管理が非常に上手い。終始プレイヤーの心を揺さぶり続けることで他には無いゲーム体験を生み出している。

ケツイ

戦闘システムと物語でひとまず「やさしいRPG」を作ることは達成できた。しかし、本作をありふれた名作から傑作たらしめている要素は既存のゲームという枠を超えた「ケツイ」の存在だろう。「ケツイ」はFriskが世界に現れるまでフラウィーが持っていた「セーブ&ロード」能力のことであり、『UNDERTALE』という作品世界そのものに干渉する能力のことを指す。

私たちがゲームをクリアする時に感じる感情は「達成感」や「満足感」だけではない。同時に「寂しさ」を感じるプレイヤーも多いと思う。それはゲームをクリアして世界を救うことで「」が世界に干渉する理由が無くなってしまうこと、クリアしたセーブも只の「データ」であることを認識してしまうことが理由に挙げられる。用意されたシナリオをゲーム上で用意された1ルートとして捉え、作業的に淡々とゲームをクリアしてしまうことはGルートの展開そのものである。

そういった、ある種ゲーマーとしては当然の行為に「待った」をかけて『UNDERTALE』という世界を実在させるために必要だったのがゲーム世界に干渉する能力「ケツイ」だったのだろう。この「ケツイ」は単なるメタ要素ではない。Nルートクリア時にはフラウィーによりセーブが書き換えられ、Gルートクリア後は元のPルートEDを観られないようにゲーム自体が永遠に書き換えられてしまう。

これはプレイヤーが作品世界に干渉し、影響を与えていると実感させる最も有効な手段だと思う。最初フラウィーが語りかけてくるのはFriskに対してではなく「プレイヤー」だと感じたと思う。レイヤーで考えてもプレイヤー同様にセーブ&ロード能力を持っていた唯一の存在はフラウィーであり、サンズは観測者としての能力はあったがゲーム世界に直接干渉できる能力は持っていない。キミの「ケツイ」一つで『UNDERTALE』という世界を救うことも、壊すことも出来る。このゲームと現実の狭間にあるような作品が『UNDERTALE』であり、「ケツイ」の存在が同作を唯一無二の作品たらしめている。

考察

以上が『UNDERTALE』の作品としての価値の分析となる。以降はネット上での各種考察をまとめてみる。

FriskとChara

考察を行う上で外せない議論は「Frisk」と「Chara」についてだろう。

Frisk

Frisk(フリスク)はゲーム開始後にプレイヤーが操作するキャラクターであり、本作の主人公である。本作のゲーム開始時に入力する名前は「落ちてきた人間」(Chara)の名前であり、操作するプレイヤー(Frisk)とは異なる。

Friskが持つ「ケツイ」の力はSAVE能力である。元々はフラウィーが持っていた能力だが、Friskが落下したタイミングでSAVE能力を奪われてしまう。ゲーム開始時のフラウィーとのやり取りは「ケツイ」の力を取り戻すためにFriskに襲いかかったという流れとなっている。

Chara

Chara(キャラ)はエボット山から地下に落ちた最初の人間である。ゲーム開始時に入力するのはこのCharaの名前である。

アズリエルの話によると人類が嫌いだったらしく、Gルートの最後にその姿をあらわす。見た目はFriskにそっくりであり、キャラチップも完全に一致する。Charaは計画自殺後、アズリエルに魂を吸収させてバリアを突破し7つの人間の魂を集める計画を立てていた。

CharaとFriskの関係

Chara=Friskと考える考察は多いが、プレイヤーは行動次第でFriskにもCharaにもなり得るというのが本作の肝だと思う。

「やさしいRPG」を表現するためには優しいFriskの対極となる残虐な意思であるCharaが必要だった。Gルートを突き進むプレイヤーは『UNDERTALE』の世界をデータとしか見ていない。敵を倒しても心に痛みを感じず、好奇心からシナリオだけを追い続けている。

Gルートを完遂した時点でプレイヤーの心にはCharaの意志が存在するようになる。GTAをプレイすれば好奇心から通行人を攻撃し、ADVをプレイすれば鬱ルートを含めた全EDを観るまで満足しないゲーマーの鑑になってしまうのだ。

「ケツイ」とは?

ゲームのセーブやロード、ポイントでの回復が行える「ケツイ」の正体は何なのだろうか。真実のラボの報告書によると人間が持つ「生きようという意志」「運命に抗おうとする心」とされている。

私たちは『UNDERTALE』というゲームを購入した時点で「ゲームをクリアする」(=運命に抗う)という「ケツイ」を心に抱いている。恐らく『UNDERTALE』の世界ではSAVE能力を自在に操れるのは最も強い「ケツイ」を持った一人だけである。

だからこそFrisk(=プレイヤー)がゲーム内に登場した時点でフラウィーはSAVE能力を失ってしまう。プレイヤー1人の「ケツイ」に対し、アルフィスから注入された「ケツイ」だけでは上回ることが出来なかったのだと思われる。その後フラウィーは6人のソウルを吸収することで再びSAVE能力を取り戻している。

6人のソウルについて

アズゴアが集めた6人のソウルについてもそれぞれバックストーリーが用意されている。スノーフルで遊べる玉入れゲームで出てくる旗は7色存在し、各メッセージが各色のソウルに対応している。

道中に落ちている、入手可能な武器・防具はそれぞれ6人が使用していたもの。フラウィー戦での攻撃方法も各武器に対応したものとなっている。詳しくはこちらのWikiを参照。

その他

上記は『UNDERTALE』世界での出来事を時系列順にまとめた画像。

軽くまとめてみたが、本作の考察記事は調べれば幾らでも出てくる。この他にも「199×年」はMOTHER2の発売年を意図したものだったり、アズリエルのアナグラム、英語版や非公式パッチ版の「SAVE」など数多くの情報が見つかる。

どれも調べてみると非常に面白い内容なので是非読んでみて『UNDERTALE』の奥深さを楽しんで欲しい。

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コメント

  1. 無名らしいですよw より:

    FriskとCharaは同一人物説があります。CharaにGold Flowerがなんか…まざってFriskのお肌の色が黄色くなった?あとFrisk死体説もあって、Friskの死体をCharaが操ってるせつがありますねぇ。後関係ないですけど、Charaってなんかのチョコの名前に似てる?w

  2. 匿名 より:

    >>「やさしいRPG」を表現するためには優しいFriskの対極となる残虐な意思であるCharaが必要だった。
    個人的にはここは納得いかない
    やさしさを際立たせるためにわざと残虐さを表現した。の方がしっくりくる。
    そしてそんなもんは”やさしくない”し、むしろただ残虐なだけのものよりも吐き気を催す邪悪な思考だと思う
    でも、だからこそ記憶に刺さる