7月12日に公開された『トイ・ストーリー』シリーズ最新作「トイ・ストーリー4」を公開初日初回上映で観てきた感想。
ネタバレ注意
どんな映画?
「トイ・ストーリー4」はピクサーの人気アニメーション「トイ・ストーリー」シリーズ最新作。前作『トイ・ストーリー3』で綺麗に完結したその後を描いた作品となっている。世界興行収入は536億円を突破し世界中で大ヒット上映中。
賛否両論な理由
大ヒットシリーズ最新作ということで気になる感想だがTwitter上では賛否両論となっている。理由を一つずつ解説してみよう。
蛇足
トイ・ストーリー4を一言でいうと
蛇足
— ねこパスタ(釣りって何?) (@abcabcabc999666) July 12, 2019
そもそも『トイ・ストーリー』シリーズは『トイ・ストーリー3』で物語が綺麗に完結している。ウッディとアンディの物語を見事に描ききった3部作に対し「4」の立ち位置は実に中途半端だ。ボニーとの深い絆が描かれるでもなくキャラ魅力(ポー以外)が深まっている訳でもない。ファンにとって「4」は蛇足でしかない。
否定
「トイ・ストーリー4」、
単に蛇足なだけでなく過去3作が積み上げてきた物を全否定してくるんだよな。— 高なす (@TKNSMYNSD) July 12, 2019
+α のサイドストーリーが描かれる程度の蛇足ならまだしも「4」は過去シリーズで築き上げたテーマを真っ向から否定している。「トイ・ストーリー」でシリーズを通じて描かれてきたテーマはおもちゃと人間との「絆」だった。今作での彼らは単なる自我を持った玩具に成り下がっている。過去作で一貫していた「おもちゃ」としての幸せを真っ向から否定し私欲に走るラストには虫酸が走る。
ウッディの扱い
踏み絵っぽいこと言います
アンディと一緒に遊ぶ回想が流れた後
ウッディは一人だけ埃を被り、ボニーの親に2回踏みつけられボニーは何も言わないしウッディのことをカウボーイともウッディとも呼ばない
これを踏まえて良作って言ってる人はトイ・ストーリーを好きではない#トイストーリー4— ソル@トイストーリー4💔💔💔 (@Aa5AocAcIUbYU7R) July 12, 2019
「1」から「3」までリーダーとして仲間たちを支えて輝いていた「ウッディ」は今作には登場しない。出てくるのは冒頭からボニーに無視され親に2度も頭を踏みつけられ、やることなすこと裏目に出てボーに批判され続ける惨めな玩具でしかない。今作の主役はあくまでボー・ピープであり、背景には昨今のディズニーのポリコレ的配慮が存在する。『シュガー・ラッシュオンライン』の方向性然り迷走があまりに酷い。
アンディの想いは?
ボニー「私のカウボーイだ!」
アンディ「大切な宝物なんだ……、ウッディとも一緒に遊んでくれるかい……?」
ボニー「コクリ」
脚本作った人ちゃんと3見てたのか?
— 無糖のラッテ@7/13 RAS LV日比谷 14 陸イン (@umimorian27) July 12, 2019
1~3で描かれた「アンディ」と「ウッディ」の絆を尊く感じている人ほど「4」の内容は受け入れ難いはず。多くのファンは3のラストでアンディの意志はボニーへと受け継がれたと信じていた。4におけるウッディの扱いは物語を進めるための単なる駒であり、ボニーとの絆は全く描かれない。最終的には傷物になった挙げ句「無くした」状況に陥っている。こんなウッディの「その後」をアンディが知ってしまったら、どれ程悲しむだろうか。想像するだけで心が痛む。
キャラ魅力皆無
バズは自分の内なる声に従うとか
言って、ずーっとボイスボタン押してるし
自分で考えないただのアホじゃんあとレックス達の出番もほぼないし
タイヤパンクとブレーキはやり過ぎでしょ
あんなの見せられてもドン引きだわ正直3で終わって欲しかった
こんな続編要らんわ— おもち (@itohosi) July 12, 2019
「トイ・ストーリー」シリーズヒットの理由は個性豊かで魅力的なキャラクターにある。しかし「4」では登場キャラの性格は大きく変わってしまった上に碌なことをしない。具体的にはバズは持ち前だった正義感を忘れて終始「内なる声」に従うだけ、ジェシーは「おもちゃ」として気づかれない範疇を超えてタイヤをパンクさせる迷惑行為。他のおもちゃも持ち主と家族など微塵も考えず好き勝手し放題。というか旧作のキャラは殆ど登場せず存在するだけ。シリーズで育ててきた最高のキャラクターたちの出番を削ってまで新キャラを掘り下げる必要はあったのか。というかギャビーギャビーの取り巻きは何で自我の無いゾンビ扱いになってるんだ。
世界の狭さ
ネタバレ無しに感想を言うと今までの思い出返して。この作品を好きと言う人とは絶対仲良くなれない。
— いーさん (@ma7kts) July 12, 2019
シリーズを蔑ろにしてまで本作で描きたかったテーマは一応「広い世界」に対して「内なる声」に従って飛び込むことの重要性だろう。言いたいことは分かる。だがそれを「4」でやるな。幸せになったウッディと仲間たちとは無関係に「ボー・ピープのその後」で描いてくれ頼むから。肝心の世界も劇中では余りに狭く感じる。車に乗って旅行という時点で「シェフ 三ツ星フードトラック」的な展開を期待したが見事に裏切られた。やってることは移動式遊園地がある閉ざされた世界でトラブルに対処しただけ。作品テーマと内容が一致していない。
絶賛しているのはニワカ
つまるところ本作は『トイ・ストーリー』3部作とは全く別の作品として捉えるのが正しい。「アンディ」の想いは踏みにじられ、過去作品のキャラは活躍せず「おもちゃ」たちは『Detroit:Become Human』のアンドロイドが如く自我を持ち始める。おもちゃとしてのプライドよりも自分の「内なる声」を優先することに人間の愚かさを感じてしまうのは筆者だけだろうか。1~3で描かれた美しい世界は存在しない。
「俺がついてるぜ」「俺よりも君のこと気にかけるやつはいない」んじゃなかったの?時が流れても変わらないはずだった人とおもちゃ、仲間との絆は「4」の結末により大きく変わってしまった。
感想
トイストーリー4を巡る制作のゴタゴタ
2014年に制作発表
→トイストーリーの生みの親のジョン・ラセター監督が解雇
→脚本家として雇われたラシダ・ジョーンズとウィル・マコーマックが降板
→脚本の3/4を変更(つまり公開版にはジョン・ラセターの意図した物語はほとんど残っていない)— Yusuke🎋🌌 (@DJ_YSK_) July 12, 2019
ラセター無きディズニーの没落ぶりを感じずにはいられない酷い内容だった。彼が何度も口にしていた「この作品で伝えたかったことは何だろう?」は今作でも掘り下げられたのだろうか。『魔法の映画はこうして生まれる』で宮崎駿はラセターについて
「彼は断固としてNOと言ってね、ハエたたきで潰すように叩きまわっていますよ」
と述べている。今作で作品の本質を理解し「NO」を言えた人物は居たのか?ラセターの意志は正しく受け継がれたのだろうか。「アンディ」の意志と同様に「新しい世界」にばかり目を向けて積み重ねてきた「本質」を見失っていないだろうか。良くも悪くも絶対的な力を持っていたラセターが解雇され、ディズニーは暗黒期に戻りつつある。
コメント
非しかないじゃないですか
それは良いけどタイトルと合わないでしょ
み様、コメントありがとうございます。
タイトルはすいません。ご指摘の通りだと思います。
SEO的観点で記事を書き終えてから付けてるので難しいんですよね。
ターゲットとして「トイストーリー4」「賛否両論」のキーワードを狙いたかったが、書きたかったのは「クソ映画な理由」だったので矛盾しました。
「否」しかない点についてはご賛同ありがとうございました。
あなたの感想が否定的なのはあなたの自由だから良い。
しかし、賛否両論と書くなら賛の意見も載せて欲しい。
無理なら記事のタイトルを変えてほしい。
コメントありがとうございます。
タイトルに関しては前コメの通りです。
当時まとめブログで「賛否両論」で流行ってたので倣いました。
記事で伝えたかったのは否定的な理由ですね。
ありがとうございました。
今までのトイストーリーへの愛情しか感じない記事
記事から溢れるトイストーリー愛を
ピカピカのハイヒールで踏みつぶすような4に賛の部分あるか…?
コメントありがとうございます。
同意見ありがたいです。
過去作品で描かれた「おもちゃの世界」を信じているならば「4」は冷静に考えて「あり得ない」はず。
「ピカピカのハイヒール」は良い表現ですね。
賛の部分は強いて言えば「トイ・ストーリー」とは異なる系譜を新たに生み出したことですかね。これが許されるなら続編もジャンル問わず好きに作り放題ですし、キャラクターに対する制約(聖域)も無くなったようなもんです。
次回作は必ず作るでしょうしボー・ピープの更なる活躍に期待したいですね。
ありがとうございました。
本文の内容的に、タイトルは「批判される6つの理由」とかの方が良いかもしれませんね。
タイトルと言えば他所でも言われてますが、Xメンの「ローガン」のようにアナザーストーリーのナンバリング外としてやれば、ここまで批判はされなかったかもしれませんね。
コメントありがとうございます。
ハガレンの批判記事に倣う形で「クソ映画な理由」のほうが目を引きますかね。
持論として明らかに「4」は外伝的立ち位置だと思いますが興行収入的にもナンバリングにせざるを得なかったのでしょう。
ウッディが主役級の活躍をして「おもちゃの世界」を大事にする内容なら「4」も批判されなかったと思います。
ありがとうございました。
全否定してる奴こそトイストーリーが1から描いてきたテーマを理解してないニワカなんだよなぁ
おもちゃのドタバタ痛快コメディーとしてしかみてないんだろ
ブーメラン刺さってますよ
私は3までのシリーズも大好きだし、4も絶賛してる派です。
なので、賛否両論の意見を見にきたつもりが否定的な意見しかなく、挙句には賛成派はニワカと決めつけるこの記事にはイラッとしました。
コメントありがとうございます。
記事で伝えている通り「3」までのテーマを理解した上で「4」を絶賛するのは意味不明ですね。
あなたは「3」までのどんな部分が大好きで「4」のどこを絶賛しているのですか?
記事に対する反論も含んでいないので現状「ニワカ」扱いされるのも止むを得ないと思います。
ありがとうございました。
トイストーリー1作目を幼少期に見て、以来ピクサーと成長を共にしてきた。
私はこの4作目は大好きだが、あなたに「絶賛しているのはニワカ」などと決めつけられる筋合いは1mmも存在しません。
感受性は人それぞれだと理解して頂きたいです。
コメントありがとうございます。
前コメと重複しますが「3」までの何を評価してきて「4」のどこが大好きなのかを説明し、記事内の主張に対して反論してください。
あと「このサイトについて」を読んで頂ければ分かると思いますが「人それぞれ」とか言ってる時点で「面白さ」の存在を否定をしています。
「ニワカ」では無いと自負するなら「オタク」らしく面白さを自身の言葉で説明しましょう。
ありがとうございました。
自分が感じていたことが全てここに文字化されていました。
僕は4を見ていない人に3まで見てるなら4は見ない方がいい、他の映画を見たほうがいいよ、と言っています。
このような映画において道徳性ってとても重要だと思うのです(かつて3ではその尊さに大泣きした)
賛でいくなら1〜4まで、CGのレベルの上がり方は半端じゃないので、今一気見するとそこは楽しめる部分だと思います。
貴方が仰るボーと新しいキャラクター達でおもちゃの自立を描くっていうの、とても救いのある意見だと思います。
それが出来ていれば名作であったと思います。
フォーキーにははやくゴミ箱に入って欲しかったし偉そうにウッディに説教するボーが許せませんでした。
ウッディが終始ひどい目にあっていて、ずっと心苦しかった印象です。
それを超えるほどボー(女性の自立?)みたいなテーマは強いのですかね?
今まで頑張ってきたウッディをこんなに酷い目に合わせたキャラクター勢と制作陣を許せる人は鬼だと思います。
ここには鬼が多いようですが。
コメントありがとうございます。
3までの内容に「尊さ」を感じている人ほど4は受け入れ難いですよね。
仰る通りCG等の技術的な進歩は確かに感じられます。
テーマ的には名作になり得ただけに既存キャラクターの使い捨てのような扱いが勿体ない。
本来はサブキャラである「フォーキー」「ボー」が前に出すぎているのも問題ですね。
ウッディの扱いに至っては製作者の恨みすら感じます。
アメリカが掲げる「強い女性」は一つの社会的なテーマになっています。
ただ3までで描いてきた世界がファンタジーだっただけに社会問題を取り上げる「4」が異質になっているのでしょう。
「鬼」に関しては皆さん飽くまで「おはなし」として割り切っているんですかね。
同意見ありがとうございました。
4肯定派ってブログ主さんを叩くだけで具体的に4のどこがシリーズ通りで4のどのシーンが良かったか書いていかないのなんか草
バズの今までの成長や友情リセット気味だし
話を外に持っていくためだけにボニー一家を悪人化
アンディが幼少期をずっと一緒に過ごした大事な仲間達を
託す相手見る目ないってことになっちゃうじゃん…!間接的なアンディディス!
いやそもそもこの作品男キャラ嫌いなの?ってくらいひどい扱い!
大好きなキャラの扱いが…
おもちゃ平等に愛さないのはボニーじゃなくて脚本家じゃないかあ…
シリーズファンならファンなほど
トイストーリーを何度も見てれば見てるほど許せない作品(´;ω;`)
といとい様、コメントありがとうございます。
そうですね。否定する人のコメント内容は生産的じゃな傾向が多いです。
ここで否定するくらいならご自身のブログで訴えかけた方が遥かに意義がありますし、コメントすること自体が逆に記事を目立たせることに繋がります。
既存キャラの扱いは本当に謎ですね。
過去三部作のファンほど許しがたい内容でしたね。
ありがとうございました。
たしかにトイ・ストーリーというストーリーとして考えると1~3を全否定してるように感じますが、一体どれだけの人が子供の頃のオモチャを大人になっても大事にしてるでしょうか?
子供や孫、親戚など永久に受け継がれる事などほとんどなくホーキーでなくともゴミ行きです。
ある意味このストーリーによって彼らオモチャは永久のものになったといえる。
そしてポーですが今流行りの女の強さとか権利的なアレね(笑とか、陶磁器なのにソコ外れるんだとかは置いておいて、
そんな状態ではアンティークショップには売れないのはたしか。つまり壊れたのはその後の可能性がある。
ギャビーギャビーへの警戒の仕様や、アンティークショップなのに大型の女の子の人形が1つもなかった所を見るにギャビーが何らかの形で手を回してそうである。(利き手が折れてるし、1でティーカップ持ってなかった?)
これもトイ・ストーリーとは話がズレるが時をえた人形は意識をもったり魂が宿ったり大事にしないとヤバい物や呪いや意識などが宿ると言われていて、もしかしたら彼ら古参のオモチャやギャビー、的当ての人形が1~3で語られていたオモチャとしての領分を越えてしまったのはオモチャとしてではなく彼らとしての感情や魂が宿り始めているからかもしれない。
3で語られているように博物館にでも飾られてないと行き着く先はゴミ。
むしろウッディーたちはポー以外ほとんど欠けることなく皆一緒にいられたのはかなり運が良いのでこの落ちは好み。
だけど賛否でいう否を言うならウッディーとバズの友情部分が足りないというか、ウッディーは1~3を通して成長してるのにバズは何か初期にリセットされてないか?という点かな?
あとまた話は変わるけども本場では同時期にチャッキーが上映されていてチャッキーがトイ・ストーリーのオモチャを壊してるポスターがあるらしいが、
ギャビーならあと一歩踏み外せば対抗できそう。ポーと対称的に女としての醜さとかエグさ力で駄目なら搦め手できたりとか雰囲気だけでなく子供と遊びたいという妄執が呪いの人形一歩手前のよう。
正直いつホラーがくるかとドキドキしてました。
最後にもう1つ。
ウッディーとバズがマブダチだから忘れがちだけどウッディーはプレミアがついて高値になるくらいのかなりの年代物、50才くらい?で射的屋の兄ちゃんの反応からバズは現在進行形で人気のまだ十年もたって無いんじゃないだろうか。
自信家でリーダーシップのあるスペースレンジャーなバズはあくまでも設定されたキャラで、(アンディのバズとオモチャ屋さんのバズとの対比から)
無印でウッディーが一番でなくなってプライドとアイデンティティーが揺らいでしまったように急激にではないが人間やオモチャとの関わりあいなどからバズもまた心の土台が不安定になっていて、ウッディーにした心の声とやらは親友としてでなく先輩としての助言を求めたのかもしれない。
最後の「ポーは大丈夫」は彼女は一人でも大丈夫だから彼女を言い訳にしないで自分の意志できめるんだって意味と、もしかしたら彼女は一人でも大丈夫だから行かないでくれって意味だったら凄く悲しいと思う。
ピピピ様、長文コメントありがとうございます。
おもちゃの永久性に関しては2で既にやっているテーマですね。
その他考察は面白いですが解釈には好意的・恣意的なものも多く本来議論されるべき『トイ・ストーリー』としてのテーマに触れられていない印象です。
友達にいたら面倒くさそうな早口で喋るオタクって印象ですね。
頑張って下さい。ありがとうございました。
私見ですが
私含む肯定派は「子供の親」としての視点でトイストーリーをみているのかも
こども自身が考える「こどもとおもちゃの関係性」と大人が見る「こどもとおもちゃの関係性」は違いますからね
より俯瞰的で、スパンを長くとらえる大人の視点からすれば、4のシビアな世界、こどもとおもちゃの関係性はむしろ現実的で、そのなかでウッディが新たな生き方を見出すことができたのは素直に祝福できるものだと私は感じました
ある意味、視聴者にも大人になること、なにかから卒業することを示唆する内容で、それを嫌がるひとがいるのは理解できますが、ね
コメントありがとうございます。
根本的に映画というか作品の見方が分かってませんね。
まず『トイ・ストーリー』3部作のテーマ性を理解できるまで繰り返し観てください。
その上で「4」として貴方が仰る「シビア」「現実的」な内容を描く必要があるか考えてみましょう。
作品作りの根幹を成す「キャラクター」を隅々まで破壊している時点で「4」は『トイ・ストーリー』とは別の作品になっているのです。
単なる「大人」「嫌がる」という低次元の話ではなく、作品作りの土台を崩したことが問題なのです。
ありがとうございました。
>シリーズを蔑ろにしてまで本作で描きたかったテーマは一応「広い世界」に対して「内なる声」に従って飛び込むことの性だろう。
御託並べてるわりに作品のテーマを全く理解出来てなくてワロタ
客観視出来る人様、コメントありがとうございます。
引用マーク付けてるのにコピペミスってますよ。わざわざ見比べながらポチポチ打ってくれたの可愛すぎでしょ。
名前とネットスラングも「狭い世界」感丸出しですしスマホ使いたてキッズですかね?「俺は他人とは違う」アピールしたい時期ありますよね。
せっかくの夏休みですし部屋に籠もらず「広い世界」に飛び込みましょう。
真面目なアドバイスとしては「批評」の体を成すには自身の言葉が必要となります。
現状はヤジにすらなり得ていないので多くの作品を観て知見を広めて下さい。
風流なコメントありがとうございました。
「4」のボーのキャラクター性が、何やら「2」以前とは違っている理由を「色々あった」という一言で片付けるのは不可解過ぎる、というのも心に不満の残る一因だと思いましたね。
実のところ「子供部屋を出た外の世界の素晴らしさ」をウッディに説くうえで、「ボーが『世間一般的なイメージにおける』強かな女性になった」事をアピールする必要は無いと思いますし(そもそもウッディは元からボーに惚れてるので)。
というか、何かと露骨に「強い女性」としてのステータスやスタンスを見せびらかしてくる「4」のボーからは、どことなく
イケメンでタフガイ、猛獣狩りの名手と男性的ステータスを全面的に押し出してくるが、自身過剰過ぎて自分の強みとしている魅力以外の魅力を理解出来ないし尊重もしない「美女と野獣」のガストンを彷彿とさせるいけ好かなさを感じました。
だから(言い方はアレですが)アンディがボーにウッディを寝取られた様に思えてしまうのかなぁ…。
パチ様、コメントありがとうございます。
登場キャラの変化に関してファンの想像で済む領域を大きく超えているのに、バックグラウンドの説明が不十分でしたね。
何にせよキャラ愛が無い。
ボーも今作の設定のために利用された被害者感が強く、新規キャラだらけの中でのウッディとの繋ぎ役として最適だった。
結果として「子供」と「おもちゃ」の関わりを十分描かなかったのはシリーズ作品としてあり得ません。
ガストンの例えはを面白いですね。言われてみると「たぶらかし」感が強いですし。勢いに身を任せたウッディとも捉えられます。
「4」にアンディ(の意志)不在だったのが最大の問題なのかな。
参考になるご意見ありがとうございました。
映画評論家気取ってテーマテーマってなんなの?遊ばれなくなったおもちゃが選んだ一つの道ってだけでしょ。ウッディは遊ばれなくなってもボニーが好きなフォーキーのサポート役に回って影ながらボニーを支えていたけど、ボーが別の道を教えてくれたから悩んだ末にその道を選んだ。
俺がついてるぜは、”遊んでくれる”子ども、そしておもちゃ仲間に対してのことだけど、ボニーは遊んでくれなくなって、ウッディが見つけた新しい道をバズたちが応援したってことだから。バズたちと別れはしたけど、ウッディと仲間の絆は変わってない。
今までのウッディはリーダーとして子どもとおもちゃ仲間と一緒に過ごすことが一番大事だったけど、ボニーはウッディを必要としなくなった。そうなったおもちゃの行く末は、埃かぶって忘れられるか、捨てられるか。そうなってでもウッディに残って欲しかったってことなの?バズたちはそういったおもちゃたちをすでにたくさん見てきてるはず。3の時点で主要なおもちゃ以外はいなくなってたでしょ。だからこそ、ウッディもバズたちもそれぞれの道を歩むことにしたんでしょ。
フォーキーが目立ったのは鬱陶しかったけど、バズ、ジェシーはちゃんと役割があって良かったと思うよ。バズがボケてるのは今までずっとそうだったじゃん。1ではスペースレンジャーになり、3では性格が変わり。バズは良い意味で純粋なんだよ。だから4ではウッディが内なる声発言をしたとき、相棒が言っていることなら自分もそうしてみようって試しただけ。実際、最後は内なる声に従わず、自分の考えで行動してたはず。ジェシーのパンクがどうのって、そんな目くじら立てること?そんなことを言うなら、2で道路を渡ったときは車が事故ってたじゃん。あれはどうなんよ?
ウッディに対する扱いが酷いってのも特に思わなかった。だっておもちゃじゃん。みんながみんな全てのおもちゃを大事にするの?描かれていないだけで、アンディ家でも踏まれることはあったと思うよ。ただ今回はウッディがボニー家にとって必要でなくなってきている過程を強調するために見せただけでしょ。
アンディの心が痛むとか言ってるけど、普通に考えてよ。小さい子におもちゃを一緒に遊んでといって、そこから数日は遊んだとしよう。でも好き嫌いがあるだろうし、おもちゃの中には遊ばれなくなるおもちゃもいるでしょう。それがウッディだったってだけ。アンディとの約束があるからって強迫観念にかられて嫌でも遊んでて欲しかったの?別にウッディを捨てた訳でもないのに。誰かにとっての大事なおもちゃが他の人にとっての大事なおもちゃとは限らない。アンディだって大人なんだからそうなる可能性を理解しているでしょう。それでもボニーに託したのはウッディがバズたち仲間と一緒にいた方が幸せだろうと考えたからで。結局は離れ離れになったけど。
蛇足に関しては個々によるとしか言えない。特に3は4に比べても良かったなと思うし、4はいらないって意見も分かる。ただ、個人的には3でトイストーリーの続きはもう見れないんだろうなと思っていたところに4が公開し、おもちゃたちがおもちゃたちならではの方法で、仲間を助けようと奮闘しているところが見れて嬉しかった。
フォーキーのキャラは鬱陶しくも、ギャビーの心を少し和らげる役割があったのかなって思う。あと、映画を見ているときにフォーキーが変なキャラすぎて、小さい子が笑ってたのは良かったな。難しい話ばかりではなく誰でも笑えるってのは大事だなって思った。
コメントを批判するなら、テーマを考えた方が良いとか、映画の見方が分かってないとかふわっとした否定をし、オタク、ニワカとバカにするだけならコメントに批判する力がないとしか見えない。特に映画の見方がこうあるべきだなんてものは存在しない。見た人の状況や知っている知識がバラバラなのに、映画の見方なんて決められないでしょ。自分と対立する意見を持つ相手を受け入れる気もない映画評論をしているなら辞めた方が良いよ。
あ様、コメントありがとうございます。
スパム認定されてましたが長文で可愛そうなので返信してあげます。読書感想文書く際の参考にして下さい。
まずテーマ論を理解するために岡田斗司夫著「遺言」を読みましょう。得てして名作にはテーマが必然であることを理解できるはず。ご自身で作品作りしてみるのも良いですね。「だけでしょ」辺りに作品愛・キャラ愛の無さが垣間見えます。
そもそも話として「成立」しているかとファン心理は別ですよね。「悩んだ」と書いてますが過去3作で描かれた絆に対して描かれ方が浅すぎます。大きな理由もなく今までの「ウッディ」じゃなくなったことが問題なのです。
「遊んでくれる」解釈も謎で彼がその様な線引きをしていたとは思えません。それこそ「アンディのおもちゃだからだ!」に集約されてるのでは?彼がおもちゃとして尽くす無償の愛に我々は心動かされたはず。
「バズたちが応援した」「絆」に関しても好意的解釈で重みが無さ過ぎるんですよ。
遊ばれないおもちゃの価値の話は2でやってるんで見直して下さい。4を肯定するなら2の時点で博物館行くのも何ら変わらないでしょ。あと「そうなってでも」の次元の話も謎でそんな脚本書いてる制作陣を否定してるのであってウッディの決断が問題じゃないの。
フォーキーの問題は同意なんですね。バズの認識は浅過ぎるので3作見直してね。4では正義感と自我が欠落してるから別人。好意的解釈過ぎて話になりません。
「身内」に対して意図的に迷惑かけたことが問題ですね。おもちゃは仲間も当然ながら持ち主を大事にしてきたはず。4での一連の行動はボニーを大事にしているとは思えないんですよね。
「だっておもちゃじゃん」に集約されてますが貴方にとっての作品価値はその程度なのでしょう。「描かれていないだけで」も勝手な解釈。演出のためにファンを敵に回すようなことラセターだったら許さないはず。
現実問題としての「子供」を『トイ・ストーリー』で描く必要はありますか?ファンタジーだった過去作品と真逆ですよね。3からのラストは絆をこれから育んでいくんだろうという「希望」でした。それを打ち砕く程に4は魅力的でしたか?
4不要の意見が分かる時点で別シリーズなんですよ。
「誰でも」笑えないから問題なんですが記事読んでますか?
貴方のコメントも4の魅力を伝えられてないことをご自覚下さい。「べき」を考えられない時点でオタクではないのです。詳しくは本ブログについてをお読みください。
評論でご飯食べれる程度に実力つけてから出直して下さい。
ありがとうございました。
返信ありがとうございます。
加えてふと「4」を思い返して見ると、今作は人とおもちゃの繋がりというより、登場人物全体が『インドア』か『アウトドア』かで行動や扱いに色分けが為されていたんじゃないかと思います。
ざっと想起するだけでも
・アンディに置き忘れられるが救出される『アウトドア』トイの代名詞、ラジコンカー
・「管理社会か?」とツッコミたくなるほどにボニーの行動パターンを把握し、自分の指示を離れようとするウッディを白い目で見る『インドア』のドーリー
・幼稚園に馴染めずクラスで孤立する『インドア』のボニー
・自意識を感じられないただただ不気味な『インドア』の腹話術人形達
・『アウトドア』のおもちゃになったことで「強かな女性」になったボー
・CMの誇張表現に幻滅しカブーンを棄てた『インドア』の男の子
・ウッディを『アウトドア』に連れ出すことでボーに引き合わせるが、棚に飾られた『インドア』のギャビー・ギャビーは冷たく見離すハーモニー
・『アウトドア』に飛び出した事で本来30cmも飛ばない筈が、10m以上のジャンプが出来るようになったデューク・カブーン
・ボイスボックスを失った事で『インドア』としてのアイデンティティを欠かした途端、ウッディに献身的になっていく『アウトドア』のおもちゃ達
・言う程悪いことしてないのに『アウトドア』のおもちゃ達からは「嫌なやつ」呼ばわりされ、ハーモニーにも拒絶された果てに『アウトドア』に出た途端、自分を必要とする女の子に出会った『インドア』のギャビー・ギャビー(その女の子が褐色人種ってのがまた…)
・あわてふためくばかりでワゴンカーから出たがらず、『インドア』のおもちゃの象徴である「名前」の書かれたフォーキーをだいぶ終盤まで内心「フォーク」扱いし、『インドア』のボニーを『アウトドア』へ連れ出したボニーの両親達に、おもちゃのルールを破ってまで反逆するボニーのおもちゃ達
といった具合。注意深くみればまだあるかも。
多分、スタッフは子供達に『外で遊べ』って言いたいのかもしれませんが、
納得出来ないのは
『インドア』のおもちゃ達は保守的でお話を動かす力が無く、『アウトドア』に対して排他的で、子供から飽きたとか、気に入られなかったとか「嫌なリアル」を突き付けられるポジションにあり、
一方で『アウトドア』のおもちゃは行動的なうえ、根性論やラッキーパンチで成功し、充実した結果を得ているってとこですね。
なんか『インドア』のおもちゃだけが貧乏くじを引いてると思うんですよ、それも根拠もなく『なんとなく』で。
今までのシリーズ的価値観なら、少なくともデューク・カブーンは二度目のジャンプで修復不可能なレベルにバラバラになるぐらいの羽目には遭うべきじゃなかったのか。
「ピノキオ」のように『危険を知らずに外界へ出ることの恐ろしさ』が全く描かれていない辺り、なにやら物凄く政治的、左巻きな気配を感じます。
ウッディが全編通しておもちゃ達から蔑ろにされてるような印象を受けるのは、ウッディ自身が『インドア』にも『アウトドア』にも属さない故に両方の派閥から突き上げを喰らっているからでしょう。
というか、そういう価値観を根底にストーリーを書いていたとしたら、バターカップの「(ボニーをアウトドア側に近寄らせた)ボニーの親父を警察に突き出せ」って台詞はかなりおっかないような…
パチ様、再度コメントありがとうございます。
『インドア』『アウトドア』の解釈は面白いですね。
製作する上で同様の認識があったか疑わしいですが、登場人物の色分けが極端で「実在感」が薄れていた点には同意です。
登場人物全員が物語を進めるための「駒」でしかなく、主人公のウッディまで「お話」に振り回され続けます。
物語を動かす側とモブが明確に別れている印象が強く、極端に保守的なキャラは脚本上の都合でそう見えるだけかもしれませんね。
「嫌なリアル」も『トイストーリー』らしからぬ部分ですね。
体育会系的な根性論展開はファンタジーならご都合主義として許されますが、今作では妙に「リアル」を交えている分気になります。
「貧乏くじ」に関しても本来あることすらNGな気が。
「バラバラになるぐらい」もイメージ分かります。
「外界の恐ろしさ」は次回作以降に描かれるのでしょう。感情に任せて自己を優先した「ツケ」が回る展開を描くべき。
ウッディの扱いは仰る通りでどっちつかずで「駄目な男」の状況になっていることが問題。
主人公不在で「流れ的に」こうなったー作品で残念です。
ありがとうございました。
返信ありがとうございます&再三のコメント失礼します。
「4」のシナリオの改善点としては、無意味深にシリーズテーマに足を突っ込んだフォーキーは存在ごとボツにして、
アンティークショップに置き去りになったのがフォーキーではなく「ウッディの帽子」だったのであれば、ドラマがもっと引き立ったと思います。
ウッディが帽子を大事にしているのは過去作品で幾度も描写されてますからね。
そしてどちらを取っても己のアイデンティティを欠かす事に葛藤するウッディを、ボーが支えれば良かったのだと思います。
かつて「2」で言及した『アンディは帽子の有無でウッディを大事にしているのではない』という名台詞で。
そしてそれは「3」でボニーがウッディを初めて拾った時、ウッディは「帽子を被っていなかった」事にも通じます。
ついでに
「箱入りのままの新品同然であったが、子供に相手をしてもらえず、そのせいで性格が歪んだおもちゃがいた。認めたくないかもしれないが、ハーモニーは状態の良し悪しで君を選ばなかったのではない」
と、「2」のプロスペクターを引き合いに出してギャビー・ギャビーを諭したらなおよかったかもしれません。
パチ様、再度コメントありがとうございます。
フォーキーボツ案は同意ですが帽子はアイデアとしては面白いですが、観客が納得できるかは微妙な気がします。
フォーキーを助ける理由はボニーの為で、それが本作で唯一ウッディを「主人公」たらしめている要素だと考えています。
「持ち主」を大事にする方が彼らしいですし同等に比較可能なのは「仲間」でしょうか。
ボーの意見に同調し新しい世界を切り開こうとするのが仲間であれば、「おもちゃ」の存在意義を再確認する流れでドラマとして成立したはず。
今作はラストの展開が唐突過ぎて結論に至るまでの「葛藤」が描かれていないのも問題。これをボー派の仲間たちと意見が対立する形でおもちゃの「幸せ」を再定義できれば良かったのでは。
仰る通りシリーズ的には「2」を絶対に引き合いに出す必要がありますよね。
考えさせられるご意見ありがとうございました。
ものすごくトイストーリー愛が溢れる記事です。全くもって私も同意見です。作品がこれまで築き上げてきたものを4で全て破壊されたように感じます。本当に悲しいです。あのラストを作るためにボニーが悪者になった感さえあります。アンディからボニーへ受け継がれたものはどこへ行ったのでしょうか、、、泣 もう4は二度と見たくありません。
トイ・ストーリーの1から見てきた大人になっても子供の心を忘れない人には4は耐え難いかもしれないが、大人になって1~3を過去の懐かしい思い出と考える人にとっては4は救いでもあると思います。
そして現代の子供にとっても納得できるストーリーであると思われます、端的に言って現代のほとんどの子供がゲームやアプリ、ヨウツベで玩具離れが早い時代。逆に1~3を理解できない子供たちも居ないとは言い切れない。
映画に合わせて始まったマクドナルドの企画すらいらない玩具をリサイクルでトレーにしよう♪とかいうしまつですし。
トイ・ストーリー4の制作が決まった時1~3を作ったからこそ現代にあわせて何とか玩具に救いをと考えた時にこんなストーリーにするしかなかったのかもしれない。
ですが新キャラに女の自立に玩具の未来など二時間に色々詰め込んだ結果、単品として見たなら良作ですが4として見ると主人公との別れなのに昔からの仲間の玩具がモブすぎるし相棒ですら添え物程度。
ウッディーも葛藤してましたが、バズもかなり心が不安定で何かに迷ってるようだったのをグランドスルーしてるので、たとえ5が作られてバズにスポットが当てられて解決しても、相棒があれだけ助けられた親友ともいえる存在をおなざりにした事実は消えようがないのでソコが唯一不満ですね。