「無敵の人」問題は一種の自然災害として諦めるしか無いという話

富山での拳銃強奪・発砲、立てこもり、ブロガー刺殺、新幹線無差別殺傷など最近、物騒な事件が立て続けに起きている。これらの事件に関与するであろう「無敵の人」問題について考えてみたい。

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「無敵の人」とは

簡単に言えば「無敵の人」は『失うものが無い』人のことである。元々ひろゆきがブログ内で発した言葉だったが最近になって再び話題になっている。内容を引用させていただくと下記の通り。(出典:ひろゆきの公式ブログ

逮捕されると、職を失ったり、社会的信用が下がったりします。
元々、無職で社会的信用が皆無の人にとっては逮捕というのは、なんのリスクにもならないのですね。

(中略)

でも、現在はインターネットを使った犯行予告をすることで、警察官を特定の場所に動員したり、飛行機を遅らせたり、警備員を走らせたりするぐらいの発言力が手に入ってしまっているわけです。
彼らは、それなりの社会的影響力を行使できる状態にあるのですね。
でも、欲望のままに野蛮な行動をする彼らを制限する手段を社会は持っていなかったりするわけです。

ちなみに個人的に、こういう人を「無敵の人」と呼んでいたりします。

社会的信用・繋がりを求めておらず物理的・社会的な「」を全く恐れていない。最近はそんな人たちが自尊心や欲望のために犯罪を起こすケースが目立っている様子だ。

防げない理由

この「無敵の人」問題について身を守る方法について触れた記事も見かけたが、個人的には「自然災害」として諦めるしか無いと思う。防ぎようが無い理由について解説してみる。

必ず一定数居る

最近になって「無敵の人」ワードが目立つようになっただけで同様の犯罪は昔から起きている。古いものでは1938年の「津山事件」も同様で自殺を覚悟し社会を見限った人間なら誰でも「無敵の人」となり得る。決してここ数年のインターネットの普及や社会の変化が原因ではない。これを社会問題として取り上げるのは理想論であり、どれだけ社会が豊かになっても同様の事件を起こす人間は一定数生まれてしまう。様々な性格、身体的特徴、障害を持つ人間が居る以上、世の中から犯罪を無くすことと同様に「無敵の人」の発生を0にすることは不可能に近い。

根本対策が無い

となると母数を減らしていくしか無いのだが根本的な対策も現代社会では難しい。例として挙げられる厳罰化・拷問刑は人権問題の観点からも非現実的であり、自殺を幇助する施設・制度も日本で実施されるとは考えづらい。社会問題として雇用を増やし、幸福度を上げて「繋がり」のある社会にしたところで根本解決には至らないだろう。また、各個人の「関わらない」「刺激しない」「逃げる」等の自衛手段も通り魔と同じで遭遇した時点でアウトである。

カテゴライズ問題

無敵の人」というワードが独り歩きし、あらゆる凶悪犯罪を「無敵の人」案件として一括りしてしまうことにも危険性が存在する。報道によって感化された予備軍が同様の犯罪に手を染めるケースもあり得るし、ニュースを聞いた人たちが個別の事件として自ら調べて想像力を働かせる機会が少なくなってしまう。飽くまで全くの別人が起こした事件ということを忘れてはならない。

感想

一定の頻度で事件が発生し、防ぎようがないという観点では自然災害のようなものと捉えたほうが良いと思う。社会問題として大きく取り上げたところで有効な解決手段が存在せず、予備軍にとって「無敵の人」がアイデンティティ化しまうことも怖い。今後は同様の痛ましい事件が起こらないことを祈りたい。被害者となった方々に哀悼の意を表します。

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