気づけばソーシャルゲームを嫌うゲーマーの方が少数派になっていた話

心のモヤモヤ整理記事。ソーシャルゲーム自体の否定や何かを訴えたい訳ではなく、単なる気持ち整理過程のチラシ裏。

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思い出

ファミコンとの出会い

筆者は1990年生まれである。小学生になる前に人生で初めてプレイしたゲームはファミリーコンピュータの『スーパーマリオブラザーズ3』だったと記憶している。しっぽマリオで無限1UPにチャレンジするのが好きだった。当時のファミコンに対する思い出は楽しさよりも恐怖が勝っている。家には初代『ドラゴンクエスト』もあったが真っ黒なUIとBGMが怖くてまともにプレイできなかったし『グーニーズ2』『魔境』『ファリア』など人間の主人公がゲームオーバーになること自体が恐怖だったのだと思う。

ゲームを「ゲーム」として楽しめるようになったのは小学生になり自分用のスーパーファミコンが手に入ってから。『スーパードンキーコング』の画質に驚愕し『ロックマン7 宿命の闘い』『スーパーマリオRPG』『星のカービィ スーパーデラックス』のような名作に数多く触れることが出来た。思い出深いのは2歳上の兄とのゲーム対戦(からのガチファイト)だろう。人生で初めて触った格ゲー『ストⅡターボ』ではベガの下段強キックの防ぎ方が分からず兄にボコられ母に泣きついた記憶がある。『ドラゴンボールZ 超武闘伝3』『カービィボウル』も基本勝てなかったし『ファイナルファイト2』では協力プレイなど関係なしにタコ殴りにされた。小学生同士のゲームプレイなんてそんなもの。

激震が走ったのは初代『ポケットモンスター 赤・緑』の登場だ。放課後に集まった学校の中庭でクラスの人気者「てっちゃん」にGBの画面を見せられて衝撃を受ける。ゲームボーイポケット(クリアパープル)を買ってもらい夢中で遊んだ。ポケモンはアニメの勢いも凄まじく『ミュウツーの逆襲』が公開された1998年夏の興奮は未だに忘れられない。ポケモングッズも夢中で集めた。

当時、男子の間で『ポケモン』と並んで熱かったのは『遊戯王』だろう。バンダイ版(裏側が紫)に始まりOCGも販売開始。周りでは日常的に賭けデュエルが行われ、『ポケモン』『遊戯王』等の趣味を通じて友達の輪が広がっていた。筆者は「地割れ」「落とし穴」といった除去カードを豊富に持っていたのでクラス内でも1, 2を争う強プレイヤーだった記憶。

毎日おはスタの内容やコロコロコミックを情報源とした話題で盛り上がり、アニメも『クレヨンしんちゃん』『ドラえもん』のスタッフ黄金期。友達同士で作品世界を共有していた印象が強い。当時の僕たちにとって『ポケモン』は実在していた。

N64の衝撃

ゲーム黄金期を象徴する名機「ニンテンドー64」が発売されたのは1996年。3Dでヌルヌル動く未知のゲーム体験に大きな衝撃を受けた。祖父母の家近くのゲーム店で15分100円みたいな形でプレイしたのが最初だと思う。今振り返ると違法だなアレ。1999年には『スマブラ』が発売。放課後は○○家にコントローラーを持ち寄って大乱闘するのが定番になっていた。スマブラが生まれなかった世界線では人間関係の構図も大きく異なると思う。

64の話なら『ゼルダの伝説 時のオカリナ』は外せないだろう。圧倒的なボリュームと世界観、芸術性すら感じる映像表現と音楽は当時のエンターテインメントの最高峰だった。同作が叩き出した海外レビューのメタスコア99点は2018年現在も破られていない。まさにゲーム史を大きく変えた一作だと言えよう。なお筆者宅は「PlayStation」ではなかったのでPSの思い出は割愛。

ゲーム業界の混沌

その後、ソニーがPlayStation2, 3, 4と高スペック化の流れに進む一方で任天堂はDS, Wiiといった「遊び」を追求するハードを開発。DS, Wiiの爆発的ヒットによりPS2時代とは異なるゲーマー層が流入し、メーカーもシリーズ作品の続編をDSで開発する事態に。

この時期に最大の被害を被ったのは作品を買い支えていたコアなゲーマー層である。多くの人が望む続編が望まれるハードで出ない。次世代機は開発も難しく開発費が高騰、リスクを避けるために携帯機でのリリースが行われシステム部分に注力した意欲的な新規IPは多くが日の目を見なかった。この辺は過去記事にもまとめたので参照。

昨日ゼルダの伝説BotWの記事をまとめたが、同作はゼルダの基本に立ち返った「原点回帰」のゲームであった。この「原点回帰」をテーマにした作品が...

ソーシャルゲーム参入

ゲーマー不遇の流れに追い打ちを掛けたのはソーシャルゲームの台頭である。「ドリラ○ド」「ドラ○レ」「怪盗○ワイヤル」といったブラウザゲーに毛の生えたような作品が巨額を稼いだことで、各ゲームメーカーもソーシャルゲーム事業に本格的に参入し始める。DLC販売が加速したのもこの時期だろう。シリーズ作品を汚すような形での安易なゲーム化も相次ぎゲーマーには辛い時期だった。ソーシャルゲーム市場が盛り上がるのと反比例する形で(コア)ゲーマー人口は目に見えて減り、PS2を最後にゲームをプレイしない人が増えたように思う。

先日『キングダムハーツ3』の新PVが公開され、改めてスクエニの開発力の高さ、IPの強さを実感した。今回はスクエニがゲームメーカーとして復活で...

ソシャゲの問題点

繰り返しになるが本記事ではソーシャルゲームそのものを否定するつもりはない。しかし、同ジャンルが単なる「ゲーム」で収まらない問題点を孕んでいることも事実である。

依存性

多くのソーシャルゲームは「ガチャ」などギャンブルに通ずる要素を持ち合わせている。海外では既にルートボックス問題として規制が始まっており、日本国内でも確率表示の義務化などルールの明確化が進んでいる。問題はソーシャルゲームの一部要素をギャンブルとして捉えた場合のギャンブル依存症に対する周知・対策が進んでいないことだ。

「ギャンブル依存症」は完治しない脳の病気である。一度依存症に陥るとギャンブルをする際に快楽を感じる脳の回路が脳に一生残ってしまい「適度に楽しむ」ことが出来なくなってしまう。俗に言われる「廃課金」ユーザーの一部はこの状態に陥っているように思える。自らの意思でコントロールできず生活を切り詰め借金をしてまでも課金してしまう行動は典型的だと言えよう。

主導権

ソーシャルゲームをほどほどに楽しむ場合でもゲームバランスを始めとした主導権は常に運営側にある点にも注意したい。売り切り型のコンシューマーゲームにおいてはゲームの開始からEDまでは全てユーザーに委ねられており、クリアできるか否かは純粋に本人の頑張り次第だ。しかし、ソーシャルゲームにおいては「クリア」は用意されておらずゲームバランスのさじ加減も運営次第。現実的には課金しないとクリアできないステージを追加することもザラで両者のパワーバランスが大きく異なる。

底なし沼

「クリア」が無い上にさじ加減が運営次第なためトータルでの課金額が底なしに陥ることも多い。「1回だけ」のつもりが「出るまで」に変わり自制心が徐々に働かなくなる。前述のギャンブル回路が形成されてしまえば脳での制御は不可能だと言えよう。費やす時間もお金も「ほどほど」が重要だがゲーム内の誘導も上手く出来ている。終わらないことがプラスに働かず惰性でプレイし続けているケースも多い。

人生の時間は有限

前述の問題点は殆どの人には当てはまらない内容だと思う。重度に依存している人はそもそも生活面で他にも問題を抱えており、向いた先がソーシャルゲームだっただけに過ぎない。しかし、ソシャゲに費やした時間やお金を少しでも「後悔したことがある」ならば素直に引退をお勧めしたい。当然だが人生の時間とお金は有限である。一生の間に味わえる体験や感動の量には限りがあり、取捨選択が自ずと求められる。その点でソーシャルゲームは自身に選択権は無いようなもので、運営の方針を受け入れるしかない。なお炎上や祭り等も含めて周りと一緒に盛り上がるのを楽しんでいる方も居るはず。そういった方は対象外で「後悔」したり辞めようと思ったことがあるかが鍵となる。

ゲーマーとソシャゲ

話を記事タイトルの本題に戻すと「ソーシャルゲーム」は前述の問題点に気づいてか否かゲーマー界隈では最初は否定派意見が殆どだったと思う。「ソシャゲに課金」はしてること自体恥ずべき感覚でそもそも遊んでいる人も周りは少なかった。しかし、昨今はTGSの待ち行列を見てもソーシャルゲームしつつ待機している人が多く見られ携帯機でゲームしている方が少数派。周りでも『FGO』を始めとしたソシャゲとガチャ報告に溢れている。相対的にコンシューマーゲームの感想やプレイ報告は減り、年に数本も買わない人も多い。

日本国内におけるソーシャルゲームの役割は「コミュニケーションツール」に近いのではないだろうか。ガチでプレイしている人は少数で無料配布された石でたまにガチャを回して運試しと報告を楽しむ。共通の世界を共有しているという観点では小学生の頃とやっていることは変わらないのかもしれない。社会人になってコンシューマーゲームをクリアまで遊ぶ時間を確保できないことも大きく関係してるだろう。

寂しさ

以上が分析でここからは筆者が記事を執筆しようと思った自分語りなのでブラウザバックしてくれて構わない。

それでも昔からゲームを愛していた一人としては寂しく感じてしまう。未だに一緒にスーファミやポケモンをやった「あの頃」に戻りたいし2018年に発売した名作の世界を誰かと共有したい。今年発売した作品では『ASTRO BOT』はマリオ64以来の衝撃を受けたし『God of War』『Marvel’s Spider-Man』『アサシンクリード オデッセイ』も楽しかったし『DELTARUNE』も最高だった。共通の話題を求めているだけならゲーム好きのオフ会にでも行けば良いし、本ブログで見ず知らずの他人にゲームの魅力を伝えたい原動力には繋がっている。しかし、真に求めているのは小中高時代からの親友や家族にこそ良いものを体験して欲しい想いなのだと思う。仕事や日常の忙しさなら分かるが兄妹はどちらも実家に集まればスマホを見つめている時間が長い。ゲーム黄金期の感動をリアルタイムで体験した人でさえもコンシューマーゲームへの情熱が無くなってしまう事実が悲しい。ネトゲ廃人なるレベルでゲーム好きだった友人でさえ最近は仕事の忙しさからかPS4を起動すらしていない状況だ。

あの時間はもう戻らないかと憂いたが来月には『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL』が発売するので友人を誘っての8人対戦大会を開く予定だ。未だにゲームを通じて盛り上がれる仲間が居ることは何にも代えがたい。自身の行動や本ブログを通じて周りにゲーム熱を戻すことは出来ないだろうか。ゲーム業界が盛り上がっている今だからこそ自身に出来ることを再確認しようと思う。

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コメント

  1. たちなへ より:

    ソーシャルゲームを外側から見た評価と、それを含んだゲーム全体を外側から見た評価は、それほど違うものではないと思いますよ。

    • タコッケー タコッケー より:

      たちなへ様、コメントありがとうございます。
      おっしゃる「評価」の視点は一般的な人かつ2018年現在のものですね。
      一昔前のコアなゲーマー層からソーシャルゲームに対する評価は大きく異なってたーというのが本記事の論旨です。
      ありがとうございました。