せがれいじりの生みの親:秋元きつねという天才

今回は『せがれいじり』の作者で有名な秋元きつね氏について取り上げる。まずはこの動画を観てほしい。

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秋元きつね

2014年に惜しくもこの世を去った同氏について『せがれいじり』や『ウゴウゴルーガ』で知っている方も多いと思う。今回は同氏の思想家としての魅力が存分に詰まった作品『BeforeAmphibianせがれ』について考察してみる。

せがれ

本作品の主人公の「せがれ」は純粋な子供としての目線・思考を持った存在であり、せがれの目線を通して同氏の「セケン」の解釈を伝えているのが本作となる。

物語の始まりは「ヒトたる一方向ノ群れに入れ」で始まる。これはヒトとして(=社会人として)周りと同じ方向を向き、陸に(=地に足つけて)生きろという意味。

しかしせがれはまだ子供でありサナギであるため、気の向くまま矢印の向くままに歩き回ることしか出来ない。映像を観て分かる通り自身の周りの世界に対して四角く区切られた範囲にしか興味を持てないのである。これは『せがれいじり』のシステムに於いても同様。

思考の猛獣

そうして悩みながら歩いて(=生きて)いると、月の時間には「思考の猛獣」が現れるようになる。皆様も独りぼっちの夜に「昔のこと」「これからのこと」を考えてしまい心が押し潰されそうになったことは無いだろうか。それは全て「思考の猛獣」が原因。

解決策を模索するのではなく延々と悩んでいるだけなのが「思考の猛獣」の特徴であり、これを光(=楽しいこと)で照らしてしまうと一時的には解決するが次第に昼の時間にも「思考の猛獣」に悩まされるハメに。月の時間は寝てしまうに限る。

教えてくれるのは生き方

「ヒトたる一方向」を目指しせがれは「思考の森」を彷徨う。そこは「言葉たる良識」(=常識、習慣、ルール)で溢れる世界であり「普通」になるべく一千万年ほど努力をした。その中で「ふて寝しちゃえばいい」「しょうがない」という思考に気づくことで「思考の森」を脱出し「思考の猛獣」に打ち勝つことができた訳だ。

せがれの生き方がよく分かるのは「海」のシーン。「そっち」「あっち」「こっち」のやり取りにおいて、キミが「あっち」と示す生き方はせがれにとっての「あっち」とは限らない。「思考の無意味」に気づいたせがれは「僕は僕たるこっち」に向かって泳ぐことを決める。

舟に乗ってくる「ヒト」は「与えられた舟」に乗るだけで自分で泳ぐ(=考える)ことをしていない。そして別のヒトに与えられた「あっち」「こっち」を完全に信じている。しかし島(=目的地)に着いてみると「あっち」だと思っていた場所は自分が思う「あっち」と異なり延々と航海(=後悔)のループを繰り返す。同士のセケンの見方と生き方に至った経緯がよく伝わる。

人間の下半身をしたイルカ

本作品における陸は「ヒト」が住んでいる「セケン」の事であり海はその外側にあたるのだが、せがれは海に残ることを決めた。「ヒトたる一方向」におけるルールは島(=目的)によって生み出された「自分たちで決めたルール」でしか無いと気づいたのだ。お金を稼いでいる、社会的地位といった評価軸でさえ「自分たちで決めたルール」でしか無いと本作は訴える。そんな「馬鹿げた生き方」よりも「楽な生き方」をせがれ(=秋元きつね)は選んだ。そして海面(=法律やマナー)を超えない限り360度自由に生きられる海に住むことを決めたのだ。

最終的な結論である人間の下半身をしたイルカとは「セケン」に行きたいときには行ける(=足がある)ヒトの部分と基本的には海で過ごす哺乳類であるイルカの特徴を併せ持った両生類 という生き方そのものを示している。あなたはヒトとして陸に生きるのか海に生きるのか、あるいは「ヒトたる一方向」に囚われていないか見つめ直してみて欲しい。

秋元きつねの作品

今回述べたのは飽くまでワタシの解釈だ。心理学を学びカウンセラーを目指したことがあった同氏は作品で悩む人を癒せないかと考えていた。本作は人によって受け取り方や感じる部分が大きく違う作品であり、だからこそ絵本・神話としての価値がそこにある。

本作で秋元きつね氏に興味を持った方は是非『人面牛』や各MVも聞いてみて欲しい。彼の非凡な才能と学ぶべき生き方を少しでも感じられるはず。


アニメ:BeforeAmphibianせがれ
お話 秋元きつね
CG 秋元きつね
発売日 1996年夏
音楽 秋元きつね
松野美由紀
秋元きつね
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